平等院鳳凰堂

写真は鳳凰堂のパンフレットより

ずいぶん昔、小学校の修学旅行で行ったきり全く興味がなかったのだが、近くを通りかかったついでに寄ってみた。そこそこの人出でほとんどの人がマスクはしているものの距離感は気にされていない状況だった。

修学旅行で寄った時は確か改修前で随分と寂れた場所だ。というイメジが強かった。ただその後の図画の授業で課題になった「修学旅行」というお題の絵でクラスメイトの1/3程度が何らかの形で鳳凰堂を描いていて、そんなに良い場所だったか?という疑問の方が強く残っていた。

今回寄ってみて、ずいぶん整備されたのだな、と感じた。

改修で丹塗りになって美麗さが増していることと鳳翔館が整備されて雲中供養菩薩像を直近で見られることが大きい。

鳳凰堂自体は拝観が90分待ちということで諦めたが、内部も見てみたいと思わせる改修だった。改修前のお堂は、古閑風雅以前に風雪に耐えかねる風情の方が目立つように感じられ、これが侘び寂びなのか?と疑問に思った記憶があったからだ。

建造当初の姿に戻すことは賛否あるがここに限っていえば、やって良かった改修だと感じた。平安貴族の夢想した極楽浄土が改修前のあの姿で記憶されるのは気の毒すぎる。

一度見ていたがために今まで特に興味を持たなかったが、宇治の近くを通りがかるついでがあればまた雲中供養菩薩を眺めに行きたい。

それはもう違うの。と彼女は言った。

街中を平日昼間に歩く機会があったので、ついでに普段寄り付きもしない服屋さんを見て歩き、値引き割合を眺めて内心感動したり粗利の確保は出来ているのだろうかと考えたりしていた。

おおよそ定価で安いものが壱万円、平均値が五万円といったラインナップのお店だった。そこの店員さんが暇つぶしに相手をしてくれた時に語った言葉。

今はね、お食事会もお出かけも、コンサートもないでしょ。売れないのよ。そういうの。

見れば明らかに仕事には向かない薄い色の生地でかつ凝ったデザインのスーツがひっそりと並べてあった。そういえばこういう格好をした人等が結婚式とかでホテルの周りに屯していたものだったよな、と思い出されるような生地と形状だった。冠婚葬祭も自粛であれば当然こういったものの需要は真先に減っていくのが目のあたりにされた。

用途が限られる服は値引きをかけても売れない、というわけでまだ需要が見込めるスタンダードなものも大幅値引きしてしのごうとしている、ということのようでした。

オーソドックスな形で生地もしっかりしていて、10年先でも着れそうな上質な服が安く買えるのはありがたい。何しろ半額が基本の値引率。けれども基本的にデフレ続きで削れるところは削ってあるはずの製造業がさらに急場しのぎで値下げした先、というのは明るいものにはならないだろう。景気が回復したとして、個性豊かで小規模な製造業がどれだけ残っているだろうか?

旅行に行けキャンペーンに税金を投入するよりも、各ご家庭に毎月現金を還流させるか消費税0%にでもして収入が増えた錯覚とともに気分よく買い物してもらった方がよほど経済は回るだろう。また、息も絶え絶えながらも作り手の意地と善意によって保たれていた技術がなんとか命脈を繋げる可能性も高くなるのではないだろうか。

Nortabilityとスタイラスペン

Apple Pencil というかスタイラスペン全般について存在意義をあまり感じていなかった。人が使っているのを見てもあまり精度も高くないし無くしそうで面倒だ、キーボード入力の方が早いし、なにより考え事をするにはキーボードの方がしっくりくるという理由だった。

学生時代にレポートをPCで書くようになって以来、スケッチはともかく手書きの文字で考えるという習慣はなくなっていた。

それが気まぐれにipadにnortability をいれ、お試し気分でApple pencil を買った結果、手放せないものとなってしまった。

本や図版を写真に撮って、貼り付けてその上からメモを追記するという作業が思いのほか楽しい。本に付箋をはったり書き込んだりはしたくない人間なので抜粋して気兼ねなく書き込め、一つのアプリにまとめておけるのはありがたい。

後から手書き文字をフォントに置き換えられるし(追加購入)、手書き文字もOCR検索できる。

ペン自体の機能も向上していてほぼタイムラグなしに書き込んでいける。レイアウトも後から直せるし、消しゴムの100倍消すのが簡単。

分量を書くときはやはりキーボードが楽だが、それとは別にちょっとしたことをメモっておく。言語化が難しいなら写真と数字で雰囲気だけ掴んで置いておける。というのは思った以上に楽しいことだった。

梔子、ニセアカシア

初夏の花で香りがするものといえば梔子。

時折香りの塊が風に乗って空中に漂っており、それに遭遇した瞬間思わず本体の樹を探してしまう強烈さがある。

八重の梔子は今住んでいる近所にもたくさん植えられているので遭遇する機会が多いのだが、ニセアカシアは残念ながら見かけない。

この時期になると梔子のような甘い香りの芯に水気を足して清涼感を増した香りをさせていたのが多分ニセアカシアだったと思うのだが、残念ながら確証が得られない。八重梔子ではなく姫梔子の香りを覚えている可能性もある。

八重梔子の重たい甘さに全振りした香りをかぎながら、似ているけど水気のある香りを探すのが初夏の恒例になっている。

月と太陽

新月で日蝕で夏至の日だった日曜日、新しいレンズとピアスがそれぞれ午前と午後で手元に来た。ピアスに至ってはほぼ日蝕の間に出会って決めたものだった。

レンズはオールドレンズで柔らかい描写が特徴のHelios 44-2。

ピアスは神戸のギャラリーで出会った彫金作家Ripplyrillさんの作品。レース、あるいは蜘蛛の糸で三日月を象ったピアス。硬質な素材であるガラスと金属を使用していながらも、どちらも柔らかさ、有機的という表現が似合うラインナップとなった。

月モチーフ以外のピアス、ネックレス、指輪等、他の作品もどれも素敵で、特に植物モチーフのシリーズからは選べなくてまずは月。アールヌーボー。というキーワードで選んだ。

その時Heliosも手元にあり、日蝕か日蝕時の木漏れ日を撮れないものかと願っていたのだが、生憎肝心の空模様が曇天であり心ゆくまでギャラリーで作品を眺めることができたのである。

植物モチーフの自然な造形でありながら形を保てる構造。揺れたり千切れたりしながらバランスをとる植物と違って、硬い金属で植物そのままを再現するのはどれだけ大変かと想像する。絶妙に細やかに計算された造形が生み出す、ありのままの自然の状態に見えるものが一見ふわりとなんでもなく軽やかに置かれている物凄さ。

次の機会には是非植物モチーフの何かをお迎えできたらと考えている。

同時に開催されていた麻服のNaoさんの作品もリネンという素材を使い、人が纏うことによって美しいドレープラインを生み出す、とても有機的で柔らかい美しさをもつお洋服である。そして美しいだけではなく、着心地が良くお手入れがしやすい。結果長く愛用できる優れものなのである。

8月8〜10日、神戸のモダナークギャラリーさんでお二人の展示会を再びされるとのことなので、お近くの方は是非覗いて見てください。素敵な世界です。

通常業務

他県への移動自粛が解除になりオフィスに出勤する日常が戻ってきた。在宅を続ける人が多いかと思っていたが意外なほど人が戻っている。

仕事的には忙しい時とそうでもない時のメリハリがある職種なので、忙しい時には出社、そうでもない時は在宅。あるいは体調不良だけどちょっと仕事を進めておきたい、という時の在宅作業。そういう使い分けになりそうだ。

繁忙期には高速プリンタ、出力した用紙を広げられるデスク、珈琲休憩の時に進捗を覗いて突っ込んでくれる同僚等が必要なので、仕事場というものにはまだ意味があると思っている。

今回のことで会社に毎日行く必要はなかったし、出退勤の時間が評価対象として不当に大きな比重を持っていたのが明らかになったと思う。この事で多少なりストレスが和らいだ人が多そうで、本来の仕事以外のことで疲弊するようなことは、どんどん減っていって欲しい。

同時に、家でも仕事をし続けないとならない、というストレスについては、勤務時間外は基本的に休み。連絡できない、しない、という共通認識を育てていけばよいと思う。こういう考えの人もちらほらいるので、変わっていくのではないかと考えている。

お手入れ

ミラーレス一眼の弱点として、イメージセンサにゴミがつきやすい、というものがある。カメラ屋さんでも再三再四、レンズ交換の際には気をつけてください、と言われるポイントである。

どれだけ気をつけても屋外でレンズ交換を行ったら、どうやったってゴミや埃は入るだろう、ということでこの一年外でのレンズ交換は自重して出かける日は一本のレンズをつけっぱなしにして過ごしていた。

とはいっても新しいレンズを買えば使ってみたくなる。一日同じレンズで過ごすのもつまらないし、カメラ二台持って歩くのは嵩張る。なんだかんだでずるずると自制がゆるみ、屋外でも構わずレンズ交換をするようになってわずか二ヶ月でくっきりはっきりゴミが映り込むようになった。

そうなってから狼狽えて、イメージセンサクリーニングでネットを検索する事しばし。自分の指先の器用さにはまったく信頼性を置いていないため、調べ始めて一時間でプロに任せる方向で決着した。

カメラ屋さんまたはメーカでクリーニングができるようだが、今回の場合はソニーストアが立地的にも都合が良いのでメーカ持ち込みに。郵送でも対応してもらえる。

店頭対応はα安心プログラムに加入している事が条件だが、HP上でも即日入会できるので問題なし。電話予約時にはイメージセンサの清掃、ソフトのヴァージョンアップをメインに考えていたのでライトコースで申しこんだ。

当日は、時間になったらソニーストアでカメラを預けてクリーニングしてもらえばok。この時、今回はイメージセンサの清掃がメインの目的であることを伝えると、ライトコースではなくその半額以下のベーシックコースでもイメージセンサの清掃に加えてヴァージョンアップをやってもらえることを教えてもらえた。(ヴァージョンアップはα会員のみ無償だったと思う)

HP上の説明を見ると、ベーシックコースではヴァージョンアップおよび各部機能点検はしないことになっているが、担当の方の説明によると、センサを掃除して結果を確認する為、ボタン動作の確認など、機能点検のようなことも流れの中に入っている、とのことだった。何か不具合があって調べるのが目的でなければベーシックコースがお得ですよ、と。

それなら、ということでベーシックコースでお願いし、待つこと小一時間。綺麗に清掃されたイメージセンサになって戻ってきた。正直、映り込みの形からセンサに傷が入ったのかと思っていたので綺麗に落ちてほっとした。

今回のライトコースが一回1650円(会員価格)。α会費が月々550円。ベーシックコースだと一回5000円(会員価格)。

センサクリーニング用品を買って自分で清掃するとしたら大凡10回分のキットが2000円ほど。自力でやるのが一番ではある。

今のところは直ぐにソニーストアに行けるので、メンテナンスを兼ねて年一回くらいで持ち込むのもありかと考えている。

仮にストアが遠く、近くに気楽に出せるカメラ屋さんもなし、となると送料と日数がかかるメーカにだすよりは、自力で清掃する方を選ぶだろう。

暇ということ

学校が休校だった期間、外遊びするお子さん達をよくみかけた。町なかの児童公園や河川敷では小学生か幼稚園くらい、少し奥まったところにあるハイキングコースでは中高生くらいのお子さん達だ。

そろそろ休校期間も解除され週明けからは学校再開か、という頃合いでハイキングコースを辿っていたら釣竿を担いだ中学生くらいのお子さん達に行き合った。

釣り糸を振り回しながら用水路の両サイドで話し続けているので嫌でも内容が聞こえてしまう。

暇だったよなー学校とか塾が戻ってきそうでよかった、という話からこの休校期間に何をしていたかを語り始めた子がいた。

“時間があって時間があって、昼寝して漫画読んで、ゲームやって、犬と遊んでギターたまにやって、釣りして時間があったら写真撮って、って暇でよかったじゃん!!暇があるのが一番じゃん”

家事手伝いもやろうぜ、と内心で思ったものの、暇があるのが一番という結論に達した子供さんの声があまりにも深刻で、最近の子供さん達は多忙であることが実感された。

自分のことを思い出すと、小学生低学年の頃は夏休みの後半は暇で暇で恐ろしく一日が長かった。高学年になると部活に入りかつ活字中毒を発症していたので暇だったという記憶はない。が上記の子供さんの考え方だと「部活以外の時間が暇で暇で仕方がなかったから本を読んでいた」になるのかもしれない。

暇で暇で何をやっても良いだけの充分な時間がある時に、やりたいと望んで時間を忘れて熱中できることを見つけることは、時間がなくて時間がなくて、どうしてもこれだけはやりたい、というベクトルで見つけるやりたいこととはまた違う方向性で自分の人生を面白くしてくれるので、この時間が後になってお子さん達の何かにつながることを、他人事ながら祈ったのだった。

寝っ転がって見る景色

空を見上げる時、首を仰向けるのと、寝っ転がって見るのと二つの方法がある。見える角度はほとんど変わらない。それでも寝っ転がって見る景色の方が解像度が高い気がする。

単純に、寝っ転がった方が首に無理がかかっていないから、長時間同じ体勢を保ちやすいからなのだろう。

だが、街並みや自然景観など通常の景色は立って見る時の方が解像度が高い。気分の問題なのかどうなのか、よりよくみたいと思った時には座っているよりも立ち上がっている時のほうが多い。もっと見易い角度を探すためだったり、単純に近づくためだったりするが、「よく見る」という行為の中には視点を移動する、という動作が伴う。

ただ漫然と空を眺める場合は近づき様がないために、脳も諦めてただその場で見えるものを必死で処理しているだけなのかもしれない。

住む場所

stay homeが日常になって、それが徐々に解除されていこうとしている期間に入っているが、完全に元に戻ることもないだろう、ということもまた見えてきている。国ごとのみならず、地域ごとでも対応が分かれてきている時代に以前のように何も考えずに空港に行って、地球の反対側に飛んでいく、ということは難しくなるだろう。

日本の場合、PCRの検査基準などで他国と足並みを揃えた対応を取っていないので、国外に出ることが難しくなる可能性が高い。その場合自分がどこでなにをしたいのかについて、今まで以上に注意を払わないといけなくなったと感じている。

県、もっといえば国を跨いでの移動抑制がしばらく続くのであれば、自分が本当に住みたい場所に引っ越してしまった方が早い。

仕事の都合で大都市近郊に住んでいた人も、職種にもよるがリモートワークができる方向に社会は進んでいるので、休日に定期的に遊びにいく場所と住んでいる場所を入れ替えることを候補に入れるのも自然だろう。

今は県単位の移動規制になっているが、都市圏、交通圏だったり自宅からの距離で判断するほうが合理的だとされていく可能性もある。

自宅からの距離で規制が入った時、自分が今いる場所でリラックスして日常を生きていけるのか、ということを含めてこれからの10年を考えてみている。

例えば、私の場合は徒歩圏内に水が綺麗な渓流と軽登山ができる山があって、湖が見えるような場所。家賃や不動産が安くて間取りや部屋の広さに余裕がある家。犬が呑気に昼寝できる庭。引きこもりに備えて冷凍庫が二台置けるガレージ。そんな条件であれば、電気と通信が確保されたらかなりの確率で幸せに引きこもっている気がする。

日帰りで美術館や博物館を梯子したり、おしゃれなカフェ巡りをするなどの頻度は下がるだろうが、年間を通して幸せな日数は増える。そういう選択肢を探している。

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