豊島美術館

竣工当時から行ってみたかった美術館。そう遠くもないしいつか行こう、だったが行けるうちに見ておこう。と思い立って行ってきた。

美術館販売の絵葉書から

朝一番で入館すると水滴がぽつぽつと浮き出しては離合集散している。しばらくすると大きめの水たまりが見えてきてそこに吸収されていく様から目が離せなくなる。

蟻が水滴に巻き込まれ、でもなんとか床にしがみ付いて難を逃れたり。

同じくらいのサイズの水滴がくっついて倍のサイズになったり、大きな水滴が水たまりに勢いよく流れくだる時に小さな水滴が分離して取り残されたり。

ただ水流が水たまりに、水滴が水流に合流するだけなのに、その瞬間がとても心地よい。

撥水加工の床のため、程よく表面張力で丸みと張りを帯びた水滴が水溜りにぶつかり溶けて消え去る瞬間の水たまりの揺らぎ。

水流が勢いよく水たまりに突っ込んで、最後の一滴が溶け込むように消えていく間際に生じる全体の震え。

水滴は空を映し玉虫のような背を見せてゆっくりと進んでいく。その合間を銀の蛇のような水流が駆け抜けていく。

見慣れた水溜まりでありながら、精子と卵子のようにも見えてくる。であればコンクリートのシェルは子宮か。

白一色の躯体と覗く青空と吹き抜ける風。時折落ちる鳶の影。ゆっくりとうつろう光と影。

水も光も空気もいつも身近にあるが、それをシンプルにミニマムに可視化をしたら、こんなに気持ちが良いものか、と実感した体験になった。

写真撮影が不可なことを納得するとともに、撮れないことがとても悔しい素敵な空間だった。

昔、映像で見た時よりも植栽が随分馴染んで敷地全体で雰囲気を醸し出すように変化していた。季節や違う天気の日、また見てみたい。

仏隆寺の彼岸花

近畿に来て初めて彼岸花を撮りに仏隆寺を訪れた。彼岸花は気がつくと花期が終わっているので毎年見逃していたので今年こそ、と狙っていた。

満開少し前、というところだったが赤い花が苔むした石段に沿って咲く様は見事だった。獣害にあったのを地元の方が植えなおして復活させてくださったとのこと。石段部分では三脚等の規制はされていないが、撮るのに夢中になり過ぎないよう気をつけたい。

梁塵秘抄の今様に彼岸花を詠ったものがあるが、この世のものではない感じを醸し出す花でうってつけだと思う。

釈迦の法華経説くはじめ
白毫光は月の如
曼陀曼珠の華ふりて
大地も六種に動きけり

梁塵秘抄

仏隆寺は千年桜も有名なので、また春の時期に再訪したい。ここに公共機関で行く場合、桜井駅から最寄りのバス停まで出て、そこから30分ほど登っていく。その起点になるバス停高井のすぐ近くで素敵なカフェを見つけた。

TAKAI.CAFEさん。

開放的で落ち着く空間でした

バスを待ちがてら、ケーキセットをお願いしてのんびりと過ごす。清潔ですっきりとしたインテリアで居心地が良く、朝早くから移動していた身にはとてもありがたい。珈琲とパウンドケーキもとても美味しかった。

地元出身というオーナーさんに近辺の情報を色々と教えて頂き、桜の時期の楽しみが増えたのだった。オーナーさんも彼岸花の植えなおしに行かれたそうで、ふらりと行って眺めて帰るだけの人間としては感謝しかない。

山道を黙々と歩いた後、すっと馴染める、または躊躇せず声をかけて入れるcafeや喫茶店の存在を知りまた再訪したくなったりする。最近、思わぬところでこういったcafeに巡り合うことが増えてきて密かな楽しみになっている。

書寫山圓教寺

姫路を通過する機会があったので寄ってみた。西の比叡山と言われかなり大規模な伽藍があることと、ほぼ山登りという情報は教えていただいていたので、それなりに心算をして出かけたのだが、途中乾いた笑いが出る程度には予想を超えた傾斜がある場所だった。

ドラマや映画のロケ地になったというのも肯ける大規模な木造建築とともに、一山お寺ということで電柱や電線がほとんどない空間はとても気持ちが良かった。

地垂木や三手先斗供が整然と並ぶ様は美しく見ていて飽きがこない。カメラも持って行ったが別の主目的があった為58mmしか持っていかなかったことが悔やまれた。広角が必要だろうと思っていたが、案の定で、紅葉シーズンに出来れば出直したいと思っている。

ビデオミーティング

リモートワーク、時差出勤が当たり前になり同時にウェブミーティングも当たり前になってきた。少し前ならセキュリティを問題にして対面打ち合わせまたは電話のみだった会社でも解禁されてきている。

人を移動させて集まる必要がなくなったので打ち合わせ関係は以前よりもずっとスムーズになったと感じている。録画して共有すれば議事録作成も不要だ。ただ、会議好きな体質の人間は前より気楽に直接関係がない会議にも参加させようとする傾向が強い。人を集めて安心する体質が変わらない、むしろ悪化するベクトルと、これを機に徹底的に自分たちの業種の本質的な仕事以外を簡素化してしまうベクトル両方が生じているのが興味深い。

種々交々ありながらもウェブミーティングは基本的にありがたいのだが、一つだけ困るのがカメラ映像が必須になってきたことだ。

マスクをしている時は顔半分しか見えないからと気を抜いていたがリモートワークが通常になってくると、逆にマスクなしでの参加が普通になってくる。マスクを外せと言われることはないが、なんとなく相手が外していると特に必要がない時はこちらも外すか、という気分になる。

カメラの映像というのは無慈悲なもので、疲労感、不摂生感というものを素直に写してしまう。ある程度は調整出来るが、ウェブカメラ越しにみた自分の顔に危機感を持ち、むしろコロナ以前よりも肌ケアに気を使うようになってしまったのは奇妙な副産物だ。

今年の夏

酷暑と言うにもあまりある、まだまだ続く暑さである。最高気温が33度程度になって涼しくなったと喜んでいるくらいには体感気温が狂っている。コロナがどうこうと言う以前に、暑さのあまり在宅ワークに切り替えたり、平日も休日も出歩くのを断念した話を聞き、目を半眼にしてみたら感染拡大防止に役に立っていなくもなさそうな暑さだった。

水道と電気が安定供給されている状態で良かったと思うと共に、空調がなければ生死に関わる気候になってきたと実感せざるを得ない。

朝早いうちか、日没後に外出しても尚暑い時期に心の支えだったのは空調とシャワー以外で以下三点。

ガリガ◯君 白◯ま まる◯完熟マンゴー

このどれを選ぶかが一日の楽しみだった。

昼夜問わず、日没後でも明け方でも、道路と建物が熱を持ち、常時岩盤浴状態の都市部にいるのである。塩飴もスポドリも蜂蜜檸檬も梅干も常備したものの、他愛のない氷菓が楽しみとなったのは仕方がない。

朝、窓やドアを開けた瞬間から熱風が吹きこむ状態というのは確実に気力と体力を削る。冬季鬱というものが北国にはあったが夏季鬱というのも出てきそうな勢いだった。

今年五輪がなかったのは幸いだったし、温暖化による気候変動リスクが増加する一方であるのなら、さっさと辞退してほしいと心底思っている。

夏思い出すこと

そろそろ米寿という祖母が10年ほど前に語ったことばがある。

若い時にはお国のために死んでくれ、今は医療費がないから死んでくれ、ですってよ。

この年代の人らしく、穏やかな諦観のこもった口調だった。そしてつい最近、こう語った。

もうテレビは見ないわ。コロナのことばっかりで年寄りは早く死ねって言わんばかりでうんざりだから。でも昼間暑くて出歩けない分、テレビを消すと暇でね。昔の手紙を読んでみたりしているのよ。

身体が痛む箇所があるものの、基本的に一人で自立した生活を送っている人にとって暇は苦痛だろう。本を何かの足しになれば、と送った。文学作品を読む気にはなれなくってねぇ、と笑うので同年代の工芸家の自伝的なものにしたところ前から興味があった人だったようで何よりだった。

この人が戦争について語ることはあまりなく、むしろ戦後の混乱期について語ることが多かったと記憶しているが、ほぼ唯一繰り返し聞かされたことがある。

女学生(師範学校)の時はね、授業料払って軍需工場で働いていたのよ。何一つ勉強させてもらえなかったわ。貴方は機会をもらったのだから貰えた分、勉強なさい。書き取りのお勉強が途中でね、正しい文章の書き方を最後まで習えなかったのが悔しいのよ。

彼女のいう書き取りは、明治の文豪の擬古文だったり、“正しい“候文を書くことだったり、漢籍の白文は言わずもがな、江戸期の草書の文章を読むことを指すようで、現在の国語とは意味合いがどうやら違う。文章を書くことについてはかなり厳格な規範、歴史的背景の知識、漢字や仮名の取捨選択眼といったものが必要だったようで、これらについて学べなかったことから正確な文章が書けていない、と考えている節がある。私からしたら私よりもよほど折目正しい日本語なのに、と慄くしかないのだが、大学まで行った人だから当世風で正しいのでしょう、と許容されていてさらに小さくなるしかない。(私は小さくなるが、両親はおそらく世代的に平易な日本語に拘っていた時期があり反論していた記憶があるのが興味深い。両親も歳をとった今、どう考えているか聞いてみたい気がする)

彼女の基準できちんと文章を綴れる人、など現代の日本にはもはやほぼ存在していないであろうからあまり気にせずとも、と思うのだが、そんなものは外野の無責任な呼びかけに過ぎない。

教育を受ける年齢が戦時にかかった人の人生に戦争が及ぼす影響と、それを苦にしても誰にも言えなかった時代背景を考えるとどこかしらが痛む思いがする。教育の機会平等は大切なことであり、学生が学生でいられ、平和で食べられる時代であること。それが卒業こそしたものの、やり残したことがたくさんあった学生時代を送った彼女たちの年齢の若者が当時願い、自分たちの子供を大学に行かせた原動力の一部だったのだろうと思う。

鳳凰堂追記

平等院を訪れてから読んでいた本。

平等院鳳凰堂  冨島義幸  吉川弘文館

建築だけでなく、仏教美術や密教との関わりにも触れてあって興味深い。

これだけの建築物を現出させた権力と、理想の往生をそこまでして求めさせた側面を考えると往生を願って建てたとしても差引き0にならないのか。また鳳凰堂自体がかなり長い間摂関家の権威を維持する役目も担ったことも併せて考えると、単純に一つの目的だけでは動かない冷静な事業主の目線も感じる。

とはいえ、”理想の往生“のために当時考えうる最高のものを集めて実体あるものとして制作してしまう、実現する意志の力は凄いものだと思う。

文化財や過去の土木構造物を見て、物そのもの、よりもそれを成した人の意志の力や維持してきた人の努力に感動を覚えるようになったあたりで歳を取ったとしみじみと思う。

そういうことをつらつら考えさせられる良い時間だった。

関西の謎

大阪と奈良の境界近くにあるお寺に行ったときのこと。

お寺の日本庭園には池泉があり、鯉が泳いでいた。その鯉を眺めて叫ぶ人々。(大声という可愛らしいものではなく静かなお庭で絶叫レベル)

パンの耳があれば、鯉にやれたのに!!!

これを関西のイントネーションでいろいろな言い回しで述べていく。そこに小一時間いたあいだ、入れ替わり立ち替わりで5グループ程人が来ていた。特に相互に関わりが無さそうな人々が、水際で元気に餌くれアピールをしている鯉を見てはパンの耳、と叫ぶのはシュールな光景だった。

叫ぶ人々の人口構成は老若男女、綺麗にばらけている。

共通項は関西のイントネーションであるということと、声が大きいということ。二人以上の集団であるということ。流石に一人で来ていた人は叫んでいなかった。

近畿のお寺はあちこち訪れてみているが、こんなに積極的に鯉の餌について騒がれるのに遭遇したのは初めてで驚きだった。日本庭園で勝手に餌をあげられるところは基本的にないし、このお寺も同様だと思う。

それにしても何故鯉にパン耳なのだろう。鯉の餌といえばお麩だったものだが。

塩の歴史

「塩」の世界史 マーク・カーランスキー  扶桑社

盆休みということで、普段あまり読まない傾向の本を読んでみている。読み始めると意外に面白かった。一度は聞いたり習ったりしている歴史の転換点には塩がなんらかの形で関わっている様に思えるようになってくる。

ローマ帝国と塩、フランスの絶対王政と塩税、スペインの南米植民地支配と製塩所。北米のタラの漁場と塩。南北戦争時の北軍による南部の製塩所の破壊。古代中国の塩鉄会議。産業革命以前の世界で保存料としての塩が及ぼす影響力は、いろんな産地の塩がよりどりみどりで手に入る現代の社会とは大きく違う。魚や肉はとれるが、それを消費地に送るために塩漬けにしないとならず、塩が足りないと商品にならない。というのは言われるとなるほど、となるのだが、考えたことがなかったので新鮮だった。

そして塩を海水から効率よく取り出すために燃料が必要だったので森林あるいは泥炭が燃やされてきた。産業革命以前の公害の歴史でもあった。

日本では1970年代にイオン交換膜式の製塩方法が確立するまでは、海水の天日干しという手間隙がかかる方法しかなかったし、塩専売制度が廃止されたのは1997年で最近のことだ。太平洋戦争中は塩も配給制だった。

盛塩や浄めの塩というのは、今の感覚よりも数倍くらい、貴重なものを使っている意識だったのだろうな、と考えてみるのも面白い。

ちなみに現代の日本はどうなっているのかとネット上で調べてみると世界有数の塩の輸入国。食用は辛うじて自給出来そうだがソーダ工業用についてほぼ輸入に頼っている。ソーダ工業というのは基礎素材産業であり塩がソーダ工業を通して各種産業で使われる様々な(14000種とも)形態に変化する。その原材料の塩がほぼ100%輸入品。

少し調べた程度でも随分と塩に囲まれた生活をしていて、身体の生存だけでなく、社会に必要不可欠なものになっている度合いが想像以上だった。自分には全く欠けていた視点だったので手に取ってみて良かった本だった。

お盆前

職場がある大阪では感染者数の増加傾向が止まらない。そういう訳で遠距離通勤者から順次リモートワークが復活している。会社の方針はできるだけ感染しないように対策すること。手段は時差通勤かリモートワーク。その他は要相談。というあっさりしたものだ。

この方針が四月に決まって以降変化はなく、自己判断でリモートワークと時差出勤を使い分けている状況だ。緊急事態宣言解除の後も続行されている。この件に関しては会社の方針が全てで、上司の許可は必要ないので動きやすい。

そんなわけで、気がつけば一週間姿をみなかったり、三ヶ月リアルでは会っていない同僚達が発生している。隣を見て話すか、モニタを確認して発信するか。の違いはあるが特に問題はない。

お盆明けには感染者数が増えるだろうという予測から、しばらくオフィスの人口は激減しそうだ。

より心地よい在宅ワーク環境構築のため、巨大トランクを持ってきて、大荷物で帰宅していく人を見送りながら、荷物が多いからといって旅行に行くんじゃないのか、と安易に推測するのは控えよう。と思ったのだった。

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